朝起きて
何処へ行くともなく
荷物を持って
外へ出た
そして
「あ、そうだ」と
先日教えてもらった
ウォルフガング・ティルマンス展のことを思い出して
そのまま国立国際美術館のある大阪/中之島へと向かった
ウォルフガング・ティルマンスはドイツ人の写真家
現代美術のフィールドで活躍してる人で
元カノがぶ厚い写真集持ってたな
くらいの知識しかなくて
特別大好きというわけでも無かったのだけど
まるで吸い込まれるようにして彼の展覧会へと向かった
彼の写真は
一見どこに作品としての焦点があっているのか分からない
写真自体のピントはあっているのだけど
なんというか意識の焦点が合わせられない
分かった気にさせない
例えば「蟹の殻に一匹のハエがとまってる写真」とか
「汚れた羊の後ろ姿の写真」とか
「パソコン画面の写真」とか
容易に連続性や意味を見出せるわけでもなく
綺麗さや力強さやグロテスクさを見せるわけでもなく
何かを直接的に讃えたり避難したりするわけでもない
たんたんとした
無機質な写真の連続
彼の写真はそんな無機質な印象でありながら
なんとなくアガる
一見無関係に思える写真たちが
写真画面の外の
僕たちの意識の外の
どこかとっても気持ちがいい場所で
ぴたりと焦点があっている
そんな感じ
私は今
何を見ているのか
私は今
何に触れているのか
私は今
何に出会っているのか
そんな気持ちになる
ー透明な意識ー
僕は彼の
透明な意識を見ていたのだと
透明な意識に触れていたのだと
透明な意識の中にいたのだと
観終わってからそんなことを思った
最近プライベートで
ハートブレイクな出来事があって
その辛さを何とかしようと
色々なことを試しているうちに
ちょうど頚椎の1番あたりが
ドロドロと濁っていることに気が付いた
そして
そこが詰まらないように
即興的に身体を動かして
いらないものを
どんどんと体外に排出していくと
ちょうどその場所に
直径4〜5cmほどの
透明な水晶玉が現れた
その水晶玉は透明に
全方位に対して均等に世界を映し出していた
最近音楽を聴いても
食べ物を食べても
身体のどこに作用してるかなどと
よく考えるのだけど
ティルマンスの写真は
はっきりと
僕のその水晶玉に作用していた
彼の写真の焦点の合わない感じは
その水晶玉のように透明な
全方位的な意識の在り方
その場所に焦点があっているように感じた
ハートブレイクな僕には
強すぎない
彼の無機質な愛が心地良かった
最近では
現代美術的なものからすっかり離れていて
美術の文脈など
ほとんど頭から離れていたのだけれど
むしろそういう状態の方が
エモーショナルなものとして
純粋に作品を楽しめるような気がした
観終わってから気付いたのだけれど
展覧会のタイトルは
「Your Body is Yours」
どうりで身体に響くわけだ